居場所って何だろう

居場所がない、そういう声は私が思っているよりも多いのかもしれないと思う。私自身も、居場所がないと感じ、それを求めてさまよう一人だ。最近は、あきらめにも似た気持ちになり、引きこもりがちになっている。

そもそも、居場所って何だろう。

自分を受け入れてくれる場所。愛してくれる場所。自分らしくいられる場所。心からやりたいことができる場所。

そうこの居場所というのは、おそらく、一般的な企業ではなしえない。生計を立てるために、成果を上げるために、自分が成長するために、会社が利益を上げるために、いる場所は多分、本質的な居場所ではない。働くことはあくまでビジネスである。

家が居場所として機能しているならこれ以上幸せなことはないのかもしれないが、家庭内でも恐怖や緊張を強いられる場合、人は追い詰められる。

そしてまた仮に家がある程度よい環境であっても、働く環境がブラックすぎた場合、病んでしまうこともあろう。これもまた悲劇である。それはまわりの家族も苦難に陥らせる。

仮に一人暮らしで、頼れる家族もなく、働く環境も良くなかった場合でも、ほんとうにかんたんに、人は孤立し病んでしまうのである。

そう、生きることは案外難しいのである。

だからこそ人は居場所を、掛け値なしに自分を認め、受け入れてくれる場所を、無意識にでも求めるのかもしれない。

地域のコミュニティに参加してうまくいく例もあると思うが、地域の行事というのもまた大変で、お祭り、消防団、地域の役など何かと忙しない。

だから、もしかしたら、集まって、喋りたければ喋って、ゆっくり本を読んでもよくて、というような、もっとスローなコミュニティが必要なのかもしれない。