人が人を信じることは、年齢を重ねるごとに難しくなってくるような気がする。信じる対象が神という見えない存在ならなおのことである。
そのうえ世の中には多数の宗教が存在する。いかにも多くの神々がいるように見える。日本は神道もありアニミズムが根づいているので、神は唯一だ、などと言おうものなら村八分という感覚が今もある。
私自身は、何でもホイホイ信じるよりは、疑ってかかるほうが良いのではないかと、今は思っている。
まず、見知らぬ家の玄関のインターホンを押して飛び込み営業のごとく訪ねてくる「なんかキリスト教っぽい人」はほぼほぼ新興宗教の人で、コアなクリスチャンがそんな伝道方法を取ることはほとんどないと思う。というかあまり積極的に伝道しない人も多いと思う(それはそれで問題だと思う)。もちろん火のように伝道する人もいると思うけど。
大学などでは新興宗教がダミーサークルを作って勧誘する例もあるらしいのでよくよく気をつけてほしいと思うところであるが、世の中がそんなことなので、宗教的なものに対して警戒する人がいて当然なのである。
私自身、矛盾するようだが宗教はあまり好きではない。個人的に神様が好きで、それがキリストだと知ったから信じている。信仰と宗教は本当は分けて考えるべきなのだろう。もちろん分けられない部分もあると思うけれど。
宗教施設にどれだけ通いつめたかとか、どれだけ献金したとかで人の価値が上がったり下がったりしたらたまったものではない。ところが宗教内ではそういうことが起こりうる。
宗教にはあまりにもそういった枝葉の問題が多すぎて、幹や根っこまでなかなかたどり着けなかったりもする。つまり自分が信じているものが一体何なのか、自分が何を、誰を信じているのか、何が真実に真理なのか、みたいなことを、追究もしないまま、なんとなく宗教していることは十分にできてしまうのである。
キリスト教の提示する救いのプロセスはシンプルである。
①自分が罪ある人間と認め
②そのままでは滅びると知り
③自分の罪のために救い主キリストが十字架で死なれ、葬られ、三日目によみがえられたと信じ
④キリストを自分の救い主、神として受け入れる
しかしここにたどり着くには長い時間が必要な場合も多い。
まず①の時点でわからないという人も多いかもしれない。
キリストを信じることは案外と難しいと思う。
でも、一回でわからないからといって諦めないでほしい。
神様もあなたを諦めないのだから。