私はひどい人間だと思う

私は二十代後半で洗礼を受けた。

正直、今振り返ってみても、ひどい人生の歩み方しかできなかった。洗礼を受ける頃には、もはや人生は詰んでいた。

かと言ってその後の人生で変われたのかというと、多少なりとも変わったところはあったとしても、自分という人間のどうしようもなさは何も変わらないと思う。しかしなおも神様は恵みを注がれる。申し訳ないと感じるほどに主は私に良くしてくださっていると思う。それは、恵みが働きの報酬でなく、恵みが純粋に神からの恵み、プレゼントであることを証明するかのようだ。

私はこれからも、良くなりたい、変わりたいとうめきながら、どうしようもない自分という十字架を引きずって歩くしかないのかもしれない。

だが、その道のりを加味してもお釣りがくるほどに、神の恵みは豊かであると思う。